夏野の驚異の部屋

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モノトーンから極彩色へ 象徴主義の代表であり、シュルレアリスムの先駆者 ”ルドン”

どうもみなさんこんにちは。

何を書くか悩んだ結果、美術になりました(~_~;)

篠虫です。

 

 

今回は、19世紀フランスの象徴主義を代表する画家、オディロン・ルドンを紹介していきます。

 

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『眼=気球』 1878年 ニューヨーク近代美術館

 

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トルコ石色の花瓶の花』油彩 1911年頃 個人蔵

 

 

 

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略歴

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『自画像』 1880年 オルセー美術館

 

オディロン・ルドン(本名ベルトラン・ジャン・ルドン)は、1840年4月20日、フランス南西部のアキテーヌ地方ボルドーの裕福な家庭に生まれますが、病弱だったのでボルドーから30キロ離れた田舎へ里子に出され、孤独な幼少時代を過ごします。

 

10歳頃から素描を始め、学校で賞を取ったこともありました。

 

15歳になると、地元の水彩画家スタニスラス・ゴランのもとで水彩画を学び始めますが、やがて反対する父の勧めで建築家への道を歩み始めます。

そのために1861年からパリへと移住し、また、植物学者アルマン・クラヴォーに出会い、顕微鏡下に広がる生物の世界や自然科学の世界に影響を受け始めます。さらに1862年ダーウィン種の起源の仏語訳版が出たとき、ルドンはクラヴォーの家でこの本を読んでいます。こうした当時最先端の自然科学に触れたことは、以後、ルドンの作品に大きな影響を与えました。

 

1862年、ルドン22歳の秋にエコール・デ・ボザールの試験を受けるが不合格となり、建築の道はあきらめることになります。

改めて画家の道を進むべく1864年にジャン=レオン・ジェロームのもとで絵を学ぶが、同氏のアカデミックな教育に反発し、翌年には帰郷。

 

 

故郷に帰ると、彫刻を始め、またロドルフ・ブレダンのもとで版画やエッチングを学びました。

 

しかし、その後すぐ普仏戦争が始まったため、ルドンの芸術活動は1870年のときに一度中断されます。そして徴兵のために従軍するも、病気のために1871年末には戦線離脱します。

 

 

終戦後の1874年にパリへ移住し、プロの画家として暮らしていくために木炭画とリトグラフを中心とした芸術活動を再開します。

 

 

1878年まで世間に認知されることのないまま活動を続け、1879年、初の石版画集『夢のなかで』を刊行します。これは25部しか発行されていませんが、職業画家としての確かな一歩を踏み出したことは間違いありません。

 

ルドンの母と同じクレオールの若い娘カミーユ・ファルトと出会い、1880年結婚。その後、石版画集・絵画作品を数多く制作し、プロの画家として生活してきます。

 

 

それまで無名だったルドンでしたが、1882年にル・ゴーロワ新聞社で木炭画と版画による個展を開催したことにより、小説家ジョリス=カルル・ユイスマンスらに注目されます。エドガー・アラン・ポーの作品を意識した2番目の石版画集エドガー・ポーに』を出版したのもこの年でした。

 

そして1884年に、退廃的な貴族を描いたユイスマンの小説『さかしま』でルドンの絵が取り上げられたことをきっかけに広く世間に認知されるようになります。

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『さかしま』ジョリス=カルル・ユイスマンス1884年 (画像は澁澤龍彦 訳版)

 

そして、1886年詩人モレアス象徴主義宣言」によって、デカダンを継承する象徴主義が文学の世界で開始。モローとともに象徴主義の画家として認知されるようになります。

 


1890年代になると、パリで物質主義・自然主義的な思想に反発が起こり精神主義神秘主義のムーブメントが起こり始めます。具体的には写実主義印象派に対する反発として、現実の自然を手がかりにしながら現実描写だけでは満足できないルドンのような画家が、若い芸術家たちに歓迎される時代が来たのです。

 

 

1886年には待望の長男ジャンが生まれるも、わずか半年で亡くなってしまい、ルドンの画風は以前にも増して鬱々としたものになっていきます。ところが、3年後の1889年に次男アリが生まれたことで、ルドンの人生模様は大きく変わります。

 

1890年代、ルドンはパステル画と油彩を好むようになります。なお、1900年以降になるとルドンはこれまでの黒の絵画「ノワール」を制作しなくなります。

色彩豊かな作品が増えるのは正にこの時期からです。

 

 

同世代の画家達との親交はあまりなかったものの、若い芸術家を中心に強く支持されるようになったルドンは、1903年にフランスの最高勲章レジオンドヌール勲章賞を受賞します。

 

さらに1913年に美術評論家アンドレ・メレリオが編集したエッチングリトグラフの作品集の出版がルドン人気にさらなる勢いをつけました。

同年、ニューヨーク、シカゴ、ボストンを巡回展示する国際近代美術展(現在のアーモリー・ショー)で画期的な作家として、最も大きな一室が与えられ、作品を展示しました。この展覧会はアメリカにおけるルドン作品収集のきっかけにもなりました。

 

 

 

1916年7月6日、パリの自宅で肺炎で死去。76歳でした。

 

 

 

 

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画業

 

フランスの象徴主義を代表する画家。

版画・油彩・パステル・素描など多岐にわたる作品が残っています。

その作風は、本人も語っているように無意識下のぼんやりとした夢の様な世界を描いており、神秘的な世界観が特徴です。

 

 

同時代に活躍したルノワールやモネら印象派とは対照的に、文学や自然の中から影響を受けて目に見える日常を越えて画面に描くという試みを続けました。

 

ルドンが活躍した時代、その画風から同時期に発生した象徴主義に分類されますが、実際には他の芸術流派とはやや距離をおいた活動をしていたことから、しばしば”孤高の画家”と称されます。

 

また、その後のシュルレアリスムの芸術家達から、その幻想的画風と「無意識下」という彼らと共通キーワードをもつため、シュルレアリスムの先駆者」とも見做されました。

 

 

 

 

彼の変遷は大きく分けると2つ。

 

1つは、

版画やエッチング・素描などを中心とした黒色の「ノワール」の時代。

 

もう1つは、

油彩やパステルを中心とした明るく色彩豊かな時代。

 

これらの違いは、ルドン自身の境遇や生活環境の変化と結びついているとされています。

画題も「ノワール」時代は、植物や生首、目玉や奇妙な生き物など幻想的で一見すると憂鬱な印象を受けるものが多いです。一方「色彩」の時代では、花や人物を中心としています。

 

 

 

ここからはルドンの作品を時系列順に見ていきましょう。

 

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『スペインにて』エッチング/紙 1865年 シカゴ美術館蔵


 ルドン25歳のエッチング

郊外の自然と右下には1人の人が描かれています。

 

タイトルから察するにスペインに旅行をした際に描かれたものか。

 

 

 

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『水の精霊』木炭画 1878年

海上に大きな男性の生首が浮かぶ。右下のヨットや海鳥たちと比較するとその異様な巨大さが目立ちます。

 

ルドンが初めて世間に認知されるきっかけになった絵。

ですが、この頃はまだごくごく一部にしか知られていませんでした。

 

 

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『眼=気球』 木炭画 1878年 ニューヨーク近代美術館

ノワール」時代を代表する絵画の1つ

気球の風船部分が大きく黒い目玉になっています。

 

ルドンの描く目玉は、一様に黒目が上を向き白目をむいているものが多いです。

 

 

 

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『森の精神』1880年

 頭からは木の枝が角のように生え、首から下は骸骨の「森の妖精」。

足下は枝と癒着しており、自然=木から生まれた存在であることがわかります。

 

全身像と相まってその表情はどことなくユーモラスを感じさせます。 

 

 

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『泣く蜘蛛』木炭画 1881年

 

蜘蛛の身体と脚に人間の頭がくっついている世にも奇妙な生物。目からは涙がこぼれています。

 

見た目の奇抜さこそあるものの愛嬌も兼ね備えているキャラクターです。

 

 

 

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『サボテン男』木炭画 1881年

 植木鉢には、太い首に支えられた頭中からトゲが飛び出す人間が1人。

一見すると髪の毛にも見えなくないですがよく見ると首や顔からも生えていることがわかります。

 

正に「サボテン男」

昔の仮面ライダーの敵に出てきそうな名前ですよね(笑)

 

 

 

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『「起源」II. おそらく花の中に最初の視覚が試みられた』リトグラフ/紙(シーヌ・アプリケ) 1883年 岐阜県美術館蔵

この絵もノワール」を代表する1枚

 

長く毛量の多いまつげが生える目玉型の花は、生命の神秘さの現れでありタイトルの通り生命最初の「視覚」が花の中から生まれたことを描いています。

 

私たちが頭で理解することは難しいですが、直感的に見ると目に吸い込まれそうな魅力がこの絵にはあります。

 

 

 

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『「起源」 Ⅲ. 不恰好なポリープは薄笑いを浮かべた醜い一つ目巨人のように岸辺を漂っていた』リトグラフ、紙  1883年 ニューヨーク近代美術館

一つ目の巨人、ギリシア神話で鍛冶の神として登場するキュクロプスを描いた作品。

 

ぱっとみの印象はかなり強烈ですが、やはりルドンは見る者に恐怖を与えるのではなく、キャラクター性を持たせて優しさやユーモアで覆うことで、本来であれば”醜い”一つ目巨人を親しみやすい存在としています。

 


 

 

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『「夢想(わが友アルマン・クラヴォーの思い出に)」VI. 日の光』リトグラフ/紙(シーヌ・アプリケ) 1891年 三菱一号館美術館

アルマン・クラヴォーは上で紹介した植物学者のことで、ルドンに顕微鏡の世界をであわせた人物であり、数少ない深く親交のあった人でした。

 

 窓の外の木は、そんな植物を通して繋がったクラヴォーを表しているのかも知れません。

 

 

 

 

1890年代に入り、これまで押さえられていた色彩が爆発するかのように作品が色鮮やかになります。

 

 

ちょうどその頃、契機となる出来事がありました。

 

1899年にロベール・ド・ドムシー男爵は、ブルゴーニュのセルミゼルにあるドムシー・シュール・レ・ヴォルト城のダイニングルームに飾るための装飾絵画を17枚、ルドンに注文します。

ルドンは過去に個人の家庭に大きな装飾絵画を制作したことがありますが、1900年から1901年にかけて制作したドムシー城のために制作する作品は、最も先鋭的な構成の絵画作品となり、装飾絵画から抽象絵画へ移行するポイントとなりました。

 

 

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ドムシー男爵の城館の食堂壁画15枚のうち『ひな菊』木炭、油彩、デトランプ/カンヴァス 1900-1901年 オルセー美術館

 

 

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ドムシー男爵の城館の食堂壁画15枚のうち『黄色い背景の樹』木炭、油彩、デトランプ/カンヴァス 1900-1901年 オルセー美術館

 

 

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ドムシー男爵の城館の食堂壁画15枚のうち『黄色い背景の樹』木炭、油彩、デトランプ/カンヴァス 1900-1901年 オルセー美術館

 

 

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ドムシー男爵の城館の食堂壁画15枚のうち『花とナナカマドの実』木炭、油彩、デトランプ/カンヴァス 1900-1901年 オルセー美術館

 

 

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ドムシー男爵の城館の食堂壁画15枚のうち『花と実のフリーズ』木炭、油彩、デトランプ/カンヴァス 1900-1901年 オルセー美術館

 

 

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ドムシー男爵の城館の食堂壁画15枚のうち『花のフリーズ(赤いひな菊)』1900-1901年 木炭、油彩、デトランプ/カンヴァス 1900-1901年 オルセー美術館

 

 

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ドムシー男爵の城館の食堂壁画15枚のうち『人物(黄色い花)』木炭、油彩、デトランプ/カンヴァス 1900-1901年 オルセー美術館

 

 

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ドムシー男爵の城館の食堂壁画15枚のうち『人物』木炭、油彩、デトランプ/カンヴァス 1900-1901年 オルセー美術館

 

これらの絵には、画面いっぱいに樹木の枝葉・花々が描かれていて、主な色は黄・灰・茶・薄青です。

2.5メートルの高さの長方形のパネルを組み合わせて作られた画は、日本絵画の影響で折りたたみ式になっています。

 

 

また、ドムシー男爵はまた夫人と娘ジャンヌの肖像画も依頼しました。 

 

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『ドムシ―男爵夫人』 1900年 ゲッティ美術館蔵

 

 

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『ジャンヌ・ロベール・ド・ドムシーの肖像』 1905年 オルセー美術館

 

 

 

 

 

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『樹下で眠る女性』テンペラ キャンバス 27x35cm 1901年 エルミタージュ美術館

 

木と眠る女性、その周囲にはピンク色の花が咲いています。

すでにルドンの抽象表現が確立しています。

 

 

 

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『セイント・ジョン』1892年

詳細はわかりませんでしたが、「セイント」とあることから宗教的画題なのかも知れません。

 

独特な色彩感覚を巧みに用いて、青・橙・黄・緑で画面を装飾しています。

先ほどの絵とは対照的に、人物はしっかりとパースの取れたポーズとバランスで描かれています。

 

 

 

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『花と女性』 1890-95年頃

この時代に多く見られる「花」と人物、とりわけ「女性」を描いた絵。

 

全体は黄土色ですが、所々に見える花や女性の衣服はカラフルに彩られています。

装飾絵画から抽象絵画に変化した頃の作品です。

 

 

 

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『キャリバンの眠り』油彩/カンヴァス 1895-1900年 オルセー美術館

 

 

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『神秘的な対話』油彩/カンヴァス 1896年頃 岐阜県美術館蔵

 

 

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『ペイルルバードのポプラ』制作年不詳 油彩/厚紙(板に貼付) 岐阜県美術館蔵

 

 

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メドックの秋』油彩/カンヴァス 1897年頃 ボルドー美術館(オルセーより寄託)

 

 

 

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『ポール・ゴーギャンの肖像』油彩 キャンバス 66cm×55cm 1903―5年頃 オルセー美術館

この絵は、ゴーギャンの死後、記憶を頼りに描かれた絵なのでゴーギャン本人には似ていません。

 

つまり、ゴーギャンの肖像ではあるもののただ彼を描くだけでなくそこに幻想や夢のような要素を加えて作品に仕上げています。

 

 

 

先にも少し触れましたが、1900年頃ルドンは仏教やヒンドゥー教に興味を示し、仏陀をいくつも描いています。

またジャポニスムにも大いに影響を受け作品に反映しています。

 

以下に4点紹介します。

 

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『釈迦の死』 1899年

 

 

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『オリヴィエ・サンセールの屏風』テンペラ、油彩等/カンヴァス 1903年 岐阜県美術館蔵

ルドン制作の3曲1隻の屏風。

形は完全に東洋の屏風と同一ですが、絵はもちろんルドンの植物たち。

 

色彩は黄と黄土色が中心で落ち着いています。

幻想、ファンタジーからは距離をおいた和の雰囲気を感じさせます。

 

 

 

 

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仏陀』 1904年

仏教的な画題であることがよくわかる1枚。

 

左には仏陀、周囲の植物や木、空は鮮やかにそれでいて落ち着いた雰囲気で塗られています。

 

個人的には絵全体や描き方から、現代の日本画によく見られる平面的で、べたっと顔料が塗られているような雰囲気も感じます。

 

 

 

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『日本の戦士と花瓶』 1905年

青・紫・薄桃色で描かれた花が和製の花瓶に活けられています。

 

花瓶には歌舞伎などの伝統芸能に見られるような格好をした人物が描かれています。

 

 

 

 

 

 

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『眼をとじて』油彩/カンヴァス 1900年以降 岐阜県美術館蔵

 

 

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『喚起』油彩、キャンバス 制作年不詳

 

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『成分:花』 制作年不詳

 

 

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『グラン・ブーケ(大きな花束)』 1901年 三菱一号館美術館

 

 

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『花雲』 1903年

 

 

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『花』 1903年

 

 

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『ペガサスに乗るミューズ』 1907-10年

 

 

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ロラン・ルスタン(ルドンの下絵に基づく)『衝立』1908-1910年(タピスリー) 1921年(木部分)  ゴブラン織(ウール、絹) シカモア モビリエ・ナショナル蔵

 

 

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アポロンの馬車』パステル 91x77cm 1905-14年 オルセー美術館

 

 

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ヴィオレット・エイマンの肖像』 1910年

 

 

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『聖セバスチャン』 1910-1912年

 

 

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『蝶と花』水彩(木炭?)、紙 1910-1914年 プティ・パレ美術館蔵

 

 

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『野の花のいけられた花瓶』油彩/カンヴァス 1910年頃 NGA ナショナル・ギャラリー、ワシントン蔵

 

 

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『蝶』油彩/カンヴァス 1910年頃 ニューヨーク近代美術館(MoMA)蔵

 

 

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トルコ石色の花瓶の花』 1911年頃 個人蔵

 

 

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パルジファル』 1912年

題名は恐らく、1865年リヒャト・ワーグナーにより制作された、舞台神聖祝典劇『パルジファル』、その主人公”愚かな若者”・パルジファルのことだと思われます。

 

この時代のルドンの作品にしては、抽象表現も相まって、人物の様子がずいぶんと不気味な印象を受けます。





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『ビーナスの誕生』 1912年 ニューヨーク近代美術館

ボッティチェリの作で有名なビーナスの誕生は多くの画家に描かれてきた伝統的な画題です。



ビーナスは今まさに大きな貝から生まれた直後で、手前にはいくつもの貝が描かれています。

彼女の周囲は”女神”にふさわしく黄金に光り輝いています。



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コキール』 1912年

コキールとはフランス語で貝殻を意味する言葉。

 

くっきりとした輪郭線に黄とピンクの色彩で形を浮かび上がらせています。

よく見ると右下にも別種の貝殻が。

 

 

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キュクロプス』油彩、キャンバス 64×51cm 1914年頃 クレラー・ミュラー美術館蔵

 

今回紹介する最後の絵画は、いかにもルドンらしい一つ目の巨人が描かれた絵です。

 

初めの方で紹介した、リトグラフで描かれた「ノワール」のキュクロプスにもよく似た雰囲気を持っています。

 

これはギリシア神話に登場する「最も有名な一つ目の巨人・ポリュペーモスに愛された、不運なナーイアス(水辺の妖精)ガラテイア」という話に題を採った作品。

 

獲物を狩って食べ尽くす野生の生き物、悪役として登場するポリュペーモスを、ルドンは山陰に隠れる裸のガラテイアを優しく見つめる存在として描いています。

 

ガラテイアも、餌食になる側にもかかわらず、(この絵では)内向的で恥ずかしがり屋なポリュペーモスを気遣い自らの身体を山肌に隠しています。

 

 

 

 

この絵から、ルドンの作品に対する姿勢がうかがい知れます。



その前に、1つ誤解してはけないのは、ノワール」の時代にルドンは鬱であったり絶望に包まれていたわけではないと言うことです。
確かに、作品には孤独な幼少時代の影響がありますが、彼が描こうとしていたのは見たままの自然や日常の向こう側にある観念です。

 

話を戻して、

キュクロプス』もその色彩からは同時代の印象派絵画を連想しますが、これまで考えられてきた画題に対する典型的な通念に捕われることなく、神話という想像上の存在を描いたという点において、やはりルドンは印象派ではないことがはっきりとします。

 

 

ルドンは自身の言葉でそのスタイルにこう述べています。

 

 

 

 

「わたしの独創性は、ありそうもない生き物を、人間的なやりかたで生き返らせ、現実世界の論理を - できるかぎり - 幻想世界にあてはめることによって、自然法則と蓋然性にしたがって彼らを生きさせることにある。」

 

 

 

 

現実から非現実へ想像を膨らませ、誰も見たことがないような世界を描く。

 

彼にしか見えず、そして彼にしか描けない世界が確かに存在しました。 

 

 

 

 

参考文献・写真引用元

 

オディロン・ルドン - Wikipedia

 

www.wga.hu

 

www.artpedia.jp

 

hayatoの響音窟 - WEB美術展 - オディロン・ルドン

 

www.cinra.net

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いかがだったでしょうか?

 

またまたずいぶんと長い記事になってしまいました。

最後まで律儀に読んでくださった皆さんありがとうございますm(_ _)m

 

ルドンの作品は、国内にも数多く存在し、中でも岐阜県立美術館が多数の作品を収蔵しているので興味のある人はぜひ!

 

 

それではまた!

(。・_・)ノ

 

 

 

 

 

オディロン・ルドン―自作を語る画文集 夢のなかで

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ルドン 私自身に

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もっと知りたいルドン―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

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ルドン―秘密の花園