夏野の驚異の部屋

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【剛と柔の筆遣い】幕末明治の知られざる画家 ”小林永濯”の話

どうもみなさんこんにちは。

書く勘を取り戻していくのは大変ですね~

篠虫です。

 

 

今回は、江戸から明治時代に活躍した画家、小林永濯について話していきます。

 

 

私は初めて生で作品を見たとき衝撃を受けました!(~_~;)

 

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『天之瓊矛を以て滄海を探るの図』 イザナギの顔

(引用元:Izanami and Izanagi Creating the Japanese Islands | Museum of Fine Arts, Boston)

 

 

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略歴

 

永濯は1843年4月22日、日本橋魚河岸新場の魚問屋に生まれましたが、生来の病弱と潔癖症だったため魚には興味を持たず、一人で絵を楽しんでいた子供時代でした。

 

13歳の時、狩野派の絵師・狩野永悳(えいとく)に弟子入りし、絵を学びました。

18歳の時には近江国彦根藩井伊家からお抱え絵師になる話がきていましたが、折しも桜田門外の変が起こったことにより破綻してしまいます。その後、姫路藩狩野派の御用絵師だった人物の養子になります。

その後日本橋で画室を構えますが、この頃狩野派では禁止されていた浮世絵を描いたことによって一派内から批判が殺到。明治3(1870)年、浮世絵師に転向します。

 

当時、永濯は河鍋暁斎と深く交流があり、暁斎は永濯をかばったり世話をしたり、暁斎の少ない絵師友達として互いに画法を議論したりしたそうです。

永濯の温和で人当たりの良い性格は周囲に人物を引き寄せ、暁斎以外にも同時代に活躍した浮世絵師・月岡芳年など数多くの絵師達と交流があったと考えられています。

 

明治7(1874)年頃から小説や新聞の挿絵などの仕事を多く請け負っていたことから、その頃には絵師としての地位が十分確立していたと思われます。

明治9(1876)年に永濯主催で開いた書画会には高橋由一、横山松三郎、チャールズ・ワーグマンらの作品も展示されていて、永濯が洋画家とも交流があったことがわかります。

その後には西南戦争の戦争絵や新聞の挿絵の他に、自らの画集や絵本をいくつか出版、狂画や肉筆画を制作しています。明治10(1877)年の第一回内国勧業博覧会では、2点の絵画を出品、花紋賞を受賞。明治18(1885年)鑑画会第一回大会では一等賞を受賞しています。

 

 

明治23(1890)年5月27日、持病の肺病が悪化。享年48でした。

 

 

 

 

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画風

 

永濯は狩野派でしっかりとした絵画技法を学んでいたため確かな画力を持っていました。ですがそれだけでは飽き足らず、明画の筆致表現を学び、西洋画の陰影法などの写実表現を取り入れるなど常に新しい表現を求め続けました。

 

和漢、そして西洋の絵画表現を融合させた永濯の絵画の特徴は、力強い線描と陰影によるはっきりとしたモチーフ卓越した画力です。

画題は日本の伝統的なものを多く用い、丁寧で格調高い作風は明治時代から特に欧米人からの人気が高い画家でした。

そのため現在では永濯の作品は海外に多く存在し、まだ未発見の作品も海の向こう側にあると考えられています。

 

 

 

 

 

それでは、いつもより少ないですが、作品をいくつか見ていきましょう。

 

 

 

 

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作品

 

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『各種新聞図解の内 東京日日新聞 第四百九拾八号』木版多色刷り 1875年2月 35.2 x 24.3cm ボストン美術館

(引用元:Tôkyô Nichinichi Shinbun, No. 498, from the series Illustrations of Stories from Various Newspapers (Kakushu shinbun zukai no uchi) | Museum of Fine Arts, Boston)

 

 

 

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『各種新聞図解の内 郵便報知新聞 第三百四十七号』木版多色刷り(錦絵) 1874年11月 35.2 x 24.3cm ボストン美術館

(引用元:The Post Dispatch Newspaper (Yûbin hôchi shinbun), No. 347, from the series Illustrations of Stories from Various Newspapers (Kakushu shinbun zukai no uchi) | Museum of Fine Arts, Boston)

 

 

上2枚の錦絵は永濯の新聞の挿絵。

2枚目の絵は沖縄に生息する「ハブ」の恐ろしさを描いた物。どう考えても実物より数倍大きい(笑)

 

 

 

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『天瓊を以て滄海を探るの図』絹本著色 1880年代半ば 126x54.6cm ボストン美術館

 

この画題は日本の国創り神話からとったものです。

左の女神が”イザナミ”、右の男神が”イザナギ”で、2柱の神が天浮橋に立ち、矛を用いて混沌とした大地をかき混ぜたところ、その矛からしたたり落ちた雫から島が誕生した。

という話です。

題名の「天瓊」とはアメノヌボコ=天沼矛のこと。

 

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イザナギイザナミの部分拡大

 

 

 

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イザナギの顔 拡大

(引用元:Izanami and Izanagi Creating the Japanese Islands | Museum of Fine Arts, Boston)

 

 

 

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『児島備後三郎図』紙本著色? 118.1x40.9cm 東京国立博物館

(引用元:E0046428 児島備後三郎(児島高徳)図 - 東京国立博物館 画像検索

トリミング加工済)

 

 

児島備後三郎(児島高徳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍したとされる武将。

江戸時代以降、後醍醐天皇に尽くした南朝の忠臣として讃えられ、国民的英雄のひとりとなりましたが、出典が太平記』のみであることから近代考古学の観点では実在が疑われている人物でもあります。

 

 

 

 

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神武天皇東征討図』紙本著色? 123.6x54.2cm 東京国立博物館

(引用元:E0046404 神武天皇東征討図 - 東京国立博物館 画像検索トリミング加工済)

 

 

こちらも日本神話から題を採った作品。

神武天皇が日向を発ち、大和を征服し橿原宮で即位するまでを描いた物語、その一場面を描いた物です。

神武東征 - Wikipedia

 

具体的にどの場面を描いた作品なのかまでは私の知識ではわかりません…申し訳ない。。。

 

 

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『黄石公張良図』紙本著色? 1874年(明治7年)頃 78.1×113.0cm 東京国立博物館

(引用元:C0026323 黄石公張良図 - 東京国立博物館 画像検索トリミング加工済)

 

 

この作品は、中国の歴史が元です。

題名は2人の人物のことで、つまり”黄 石公”と”張 良”です。黄石公は秦代中国の隠士、張良は秦末期から前漢初期の政治家・軍師でした。

絵画中では、張良が黄石公から兵法書をもらい受ける場面。

 

その詳しい経緯はWikipediaへ(^_^;)

 

 

 

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『遊女図』絹本着色 1870年代 85.0x41.0cm 大英博物館

(引用元:British Museum - painting / hanging scrollトリミング加工済)

 

題通り、遊女を描いた作品。遊女もよく画題として描かれていました。

幾重にも重なる着物の袖。女性の表情からはその苦労と芯の強さが読み取れる気がします。

 

 

 

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『美人愛猫図』紙本著色 1890年 127.2x53.0cm 東京国立博物館

(引用元:C0041989 美人愛猫図 - 東京国立博物館 画像検索トリミング加工済)

 

 永濯晩年の作品。

優美な着物の衣紋、フワフワとした質感の猫の毛並み。鮮やかな色彩に穏やかで楽しげな女性の表情。

彼がもっと長生きしたらこれ以上の作品がもっと多く残っていたでしょうね。

 

 

 

 

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七福神』絹本著色 112.9x54.8cm ボストン美術館

(引用元:The Seven Gods of Good Fortune | Museum of Fine Arts, Boston)

 

七福神は古くから絵の縁起の良い題材として数多く描かれてきましたが、この絵がその中でも異色の作品であることは間違いありません。

手前にいる少年の後にいるのは、剛毛で外国人風の顔つきをした笑顔の大黒様。この描き方には少し好みが分かれるかも知れません。

 

しかし、その画力には目を見張るものがあります。遠景の山々と中景の船中の神様達、そして手前の大黒様と少年の描き分けはさすがとしか言い様がありませんね。

 

 

 

 

 

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『道真天拝山祈禱の図』綿布・墨、膠彩、水彩(水溶性顔料) 1860―1880年頃 254x119.51cm ボストン美術館

(引用元:Sugawara Michizane Praying on Tenpai-zan | Museum of Fine Arts, Boston)

 

 

小林永濯の現存作品で、傑作中の傑作がこの作品だと思います。

 

菅原道真といえば現在では学問の神様として有名ですよね。

しかしこの作品は、菅原道真太宰府流罪となった後、天拝山で無実を訴えついに天神と化す天神縁起に基づく場面を描いた物です。道真は望まぬ政争に巻き込まれて無実の罪で流罪になり、その恨みから死後怨霊となって朝廷に落雷を起こしと言われています。

 

雷雨の中、天拝山に立つ道真が雷に打たれたかのごとく全身を硬直させてつま先で立ち、衣装は突風で巻き上がり冠と紙が空を舞い、思わず竹の杖を手から離してしまう、直後に天神となるその瞬間を切り取り写し取ったかのごとき瞬間的な写実性に富んでいます。

過去の日本の絵画には決して見られない斬新な表現は、正に劇画と呼べる画風として現れています。

 

 

 

過去に一度、この作品が日本に戻ってきたとき、当時はまだ小林永濯を知りませんでしたが一目で画中の道真と同じように全身に電流が流れたかのごとき衝撃を受けました。

 

 

「こんな絵を描く人が100年以上前にいたのか!?」

 

 

そう思わずにはいられませんでした。

 

 

永濯は暁斎らと同じく長年歴史の影に埋もれて忘れられた画家でした。

それが近年の研究によって再びスポットライトを浴びるようになり再評価の気運が高まっています。

 

しかし、すでに述べたとおり、当時から欧米人に人気のあった永濯の作品は他の日本人画家の作品同様、その多くが海外に流出してしまっています。

 

 

 

なので気軽に作品を目の前で見ることが難しいのが残念ですね(;´Д`)

 

 

 

 

参考

小林永濯 - Wikipedia

 

ボストン美術館

www.mfa.org

 

 

 

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さて、いかがだったでしょうか?

 

記事が久しぶり&アート系も久しぶりだったので、ちょっと個人的にはいまいちな気がします(~_~;)

 

でも前々から紹介したかった小林永濯を取り上げられたのは良かったです!

次はどうしようか…

アート系は作品情報を集めるのが1番大変なのですよね~

 

 

 

それではまた!

(。・_・)ノ

 

 

 

 

 

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月岡芳年伝 幕末明治のはざまに

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