夏野の驚異の部屋

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ゆっくりみんなで考えよう 「テセウスの船」から「アイデンティティ」を考える

どうも皆さんこんにちは。

京都旅行の話はインスタに写真を投稿し終わってから書くことにしました!

篠虫です。

 

 

今回は、小休憩で哲学系の小話について考えましょう。

 

 

前回の記事 

natuno-wunderkammer.hatenablog.jp

 

 

 

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前回は沼から生まれた男「スワンプマン」の思考実験から「私」とは一体何なのか?についてぼーっと考えてみました。

 

 

今度は物体の同一性「アイデンティティ」を哲学からちょこっとだけ考えてみます。

 

 

 

 

テセウスの船

 

ギリシアの伝説・神話の一説にこんな話があります。

 

テセウスアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウスの時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである。

テセウスの船 - Wikipedia

 

テセウスさんの船だから「テセウスの船」です。

 

 

この話の論点は、

「ある物体の構成要素が最終的に全て入れ替わったとき、元の物体と同じものなのか」

という点です。

 

 

 

・・・ 昔の人は、よくこんなことに気づけますよね(^_^;)

 

ひとたび考え始めると小一時間は考えてしまう問題ですが、皆さんはどうでしょうか?

 

 

 

テセウスの船」に似た話は他にもいくつかあって、船以外になんかの話がありますが問いかけは全て同じです。

 

川は常に水が流れていて同じ川は存在しない、そこの”川”という事実は変わらないけれど、物体としても同じその”川”は維持できない。

 

斧は錆びた刃を付け替え、朽ちた持ち手の木を取り替え、やがて全てのパーツが初めの斧と変わったとき、名前は同じでも材質としては同じではない。

 

 

 

 

私は、例えば特定の個人の所有物or使用物として認識しようとすると、パーツが入れ替わってしまったらもう元の「ある人の物」ではなくなってしまうと思います。

 

でも、大量生産品のままとして物の捉えるのであれば、パーツが全て取り替えられても「元のままの物」として考えて大丈夫だと思います!

 

 

 

 

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さて、いかがだったでしょうか?

 

内容が少なく、短くてすみません(~_~;)

 

大きめの記事は随時制作中なので、気長にお待ちいただけると助かります…!

あと、冒頭でも言いましたが、京都話もまた後日ちゃんとお話しします!

 

 

それではまた!

(。・_・)ノ

 

 

 

 

テセウスの船(1) (モーニングコミックス)

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