どうも皆さんこんにちは。
今日はひたすら暑かったですが、運動したおかげで5kgは痩せた気が。
篠虫です。
今回は北斎『百物語』シリーズ、いよいよ最後です!
前回までの記事
第1回
natuno-wunderkammer.hatenablog.jp
第2回
natuno-wunderkammer.hatenablog.jp
第3回
natuno-wunderkammer.hatenablog.jp
第4回
natuno-wunderkammer.hatenablog.jp
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では、早速絵の方を見ていきましょう。
・・・これまでの4枚とはまた雰囲気の異なる絵ですよね。
最初に目を引くのは1匹の蛇です。
その頭の近くには水(もしくはお酒?)で満たされた「卍」紋入りの器。水面には葉が一枚浮いている。
蛇が巻き付いているのは、位牌と砂糖菓子のお供え物か。
位牌には「時于応天輔之革 茂問爺院無嘘信士 空 御正月日侍咄」の文字が。
戒名の茂問爺(ももんじい)は鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』に登場する妖怪・百々爺(ももんじい)の音を当てたもので、一番上の梵字は人の横顔になっている。
「時于応天輔之革」とあることから天保初期の作と考えられている。
参考:『大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで』東京都江戸東京博物館編集 2016年 読売新聞社発行
うーん、正直位牌の文字は意味がよくわかりません(笑)
私の勉強不足で江戸時代の言葉がわからないので...すみませんm(_ _)m
では、もう少し絵について見てみましょうか。
(ここからは私の推測も含みます)
題の「しうねん」とは、恐らく「執念」のことです。
蛇は一度相手を締付けると放さないことから、”執念深さ”を表しているんだと思われます。
当時は浄瑠璃や歌舞伎の演目でも、無理心中などの悲恋物なんかが人気でもあったので、人々の関心も「恨み辛み」「呪い憎しみ」に向いていたのかも知れません。
前回のお岩やその前のお菊の話は正にそうですよね。
上記でも説明した、位牌の戒名が妖怪「百々爺」に由来しているというので、
百々爺を調べてみると、その鳥山石燕『今昔画図続百鬼』の当該図面にはこうあります。
百々爺未詳 愚按ずるに 山東に摸捫ぐは(ももんぐは)と称するもの 一名野襖(のぶすま)ともいふとぞ 京師の人小児を怖しめて啼を止むるに元興寺といふ もゝんぐはとがごしとふたつのものを合せてもゝんぢいといふ
原野夜ふけてゆきゝたえ きりとぢ風すごきとき 老夫と化して出て遊ぶ 行旅の人これに遭へばかならず病むといへり
・・・古典は得意じゃなかったのですが、wikiには解説も載っていました(^_^;)
簡単に訳すと、
石燕は、百々爺については「未詳」としながらも、”ももんぐは”と”野襖(のぶすま)”とも呼ばれている。また”ももんぐは”と”がごじ”という幼子を怖がらせる2種の妖怪の名前が合わさって「ももんじい」になった、としています。
夜の原野に出没する妖怪で、老人の姿に化け出て怖がらせるという。そしてこれと出会った人は病に侵されるらしいです。
”ももんぐは”は関東地方で”化け物”を意味する幼児語で、”がごじ”も同様に、徳島県で”妖怪”を意味する児童語でした。
ちなみに”ももんぐは”と”野襖(野衾)”は、日本の動物「モモンガ」の語源になったと言われています。
ここで疑問に思うのは、
どうして北斎は「百々爺」の音をとって『しうねん』という絵の中に書いたのでしょうか?
百々爺という妖怪の性質から見ても「執念」とは特に関係がなければ、蛇も関係ありません。
本当はもっと違う意味が込められているのに、現代人にはそれが読み解けないのかも。
もしくは見つかっていない他の『百物語』絵にヒントが隠されているとか......
考え出すといろいろ出てきて面白いですね!
いつか謎が解ける日が来るのを待ちましょう!!
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さて、いかがだったでしょうか?
今回で、北斎『百物語』シリーズは終わりです。楽しんでいただけたでしょうか?
ですが、まだまだ紹介したい妖怪・幽霊画はたくさんあるので、今後もお楽しみに!
それではまた。
(。・_・)ノ