夏野の驚異の部屋

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”三大怪談”の一つがモデル 葛飾北斎『百物語 お岩さん』

どうも皆さんこんにちは。

座りながらの単純作業って楽なようで、集中が切れるとかなりきつくなってきますよね…

篠虫です。

 

 

今回はシリーズ第4弾めの『百物語』絵の紹介です!

 

前回までの記事

 

第1回

natuno-wunderkammer.hatenablog.jp

 

 

第2回

natuno-wunderkammer.hatenablog.jp

 

 

第3回

natuno-wunderkammer.hatenablog.jp

 

 

 

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さあ、夏の蒸し暑い夜にはどうにか涼みたいですよね~(棒)

 

そんなときには”怪談”でしょ!!

 

 

 

 

・・・ということで、日本の”三大怪談をご存じでしょうか?

 

日本には数多くの怪談が存在しますが、その中でも有名な怖い話が、いつ頃からか三大怪談として語られるようになりました。

 

それが、

 

皿屋敷 牡丹灯籠 そして、四谷怪談です。

 

 

皿屋敷』は、以前の北斎『百物語』絵の紹介で出てきましたね。

 

牡丹灯籠』は、明治時代に三遊亭圓朝が25歳の時、江戸末期頃の複数の怪奇物語から着想を得て創作した話と言われています。

話の概略は、今回のメインとは異なるのでwikiリンクだけ張っておきます。気になる方はどうぞ。

牡丹灯籠 - Wikipedia

 

 

 

四谷怪談』こそ今から紹介する絵の元になった怪談です。

 

先に怪談のあらすじを・・・

 

 

四谷怪談 - Wikipedia

こちらにあらすじが載っています。

 

 

 

・・・でも、長すぎるので色々省略して、超ざっくりした概要だけここに書くと、

 

お岩夫・伊右衛門の悪事を理由に実家に連れ戻されていたが、父・左門が辻斬りに見せかけ伊右衛門殺されてしまう。お岩と伊右衛門は復縁するが、産後の体調不良により病弱になったお岩は次第に避けられるようになる。その後薬の副作用で顔が醜く腫れ上がったお岩に恐怖を感じた伊右衛門が、お岩を殺して川に流す。その後化けて出たお岩の恨みで錯乱し、周囲の人間を殺害して逃げるがその敵討ちをされて、最期は伊右衛門も死んでしまう

 

重要なのはこんなところでしょうか。(本当はかなり複雑で、残酷なお話です。)

 

 

とにかくお岩は、夫の伊右衛門に振り回され、父は殺され最期には自分も殺されてしまうので、非常に強い恨みと憎しみを持っている、ということなんでしょうね。

 

 

余談ですが、このお岩には実際のモデルがいるとされ、四谷(東京都新宿区左門町)に実在する「お岩稲荷」(於岩稲荷田宮神社)は、もともとは田宮家の屋敷社で、岩という女性が江戸時代初期に稲荷神社を勧請したことが由来といわれています。

四谷怪談 - Wikipedia

 

 

 

さて、話が広がり過ぎてしまいましたが、それではいよいよ絵を見ていきましょう。

 

 

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葛飾北斎 『百物語 お岩さん』 中判錦絵 天保(1830-44)初期

 

 

これまで紹介した絵の中では、一番妖怪っぽい作風かもしれません。

 

古提灯に、お岩の顔が浮かび上がっているのか、怨霊が乗り移っているのか。

荒れた髪の毛が生え、提灯の蛇腹が目元のしわを作り上げ、破れた胴体は呪詛を吐き出すように大きく口を開けています。

 

この姿は、一般には「提灯お化け」もしくは「化け提灯」などと呼ばれる、”付喪神”のような日本の妖怪です。

 

 古い提灯が上下にパックリと割れ、その割れた部分が口となって長い舌が飛び出し、提灯の上半分には一つ目ないし二つの目があるのが一般的に考えられている「提灯お化け」の姿である。提灯から顔、手、体、翼が生えていることもある。 

 提灯お化け - Wikipedia

 

「お岩さん」といえば、私の中では”顔が醜く腫れた幽霊”のイメージがあるのですが、ではなぜ「お岩さん」が「提灯お化け」なんでしょうか?

 

それは、

 

また、葛飾北斎の『百物語』にある「お岩さん」や、歌川国芳の『神谷伊右エ門 於岩のばうこん』など江戸時代後期に制作された浮世絵が知られる。これらは歌舞伎『東海道四谷怪談』(1825年)における、伊右衛門に殺されたお岩の霊が提灯から姿を現わす演出(「提灯抜け」と呼ばれている)や提灯に顔を現わす演出(『累渕扨其後』1813年、中村座など)から発想され描かれたもので、提灯お岩(ちょうちんおいわ)と呼ばれている。

 

と言うことで、歌舞伎演目の『東海道四谷怪談』における演出がヒントになっていたようです。江戸時代の歌舞伎は庶民にとって最大の娯楽の一つだったため、『百物語』を錦絵として販売するのにもうってつけだったのでしょう。

 

その辺りにも北斎を含めた、錦絵業者の計算高さがうかがい知れます。

 

 

 

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さて、いかがだったでしょうか?

 

 北斎『百物語』シリーズも残すところあと一つです!

 

最期までお楽しみください!

 

 

それではまた!

(。・_・)ノ